2015年10月04日

安全保障関連法の今後と国民の責任

 筆者が執筆している時点で、参議院で安全保障関連法案が可決された。空虚な議論の応酬の中で、冷戦後の新たな日米同盟が法的根拠を持って実行される重大な決定がなされた。

 ソ連崩壊によって、その戦略的目的を失った日米同盟の再構築作業が米国主導で開始され、1997年の「日米防衛協力のための指針(ガイドライン)」ができた。そして、更なる日本側の積極的対米協力の約束を盛り込んだ「新ガイドライン」が本年4月27日に発 表された。この間、2005年に作成された「日米同盟:未来のための変革と再編」に『国 際的な安全保障環境を改善する上での二国間協力は、同盟の重要な要素となった』と日米 同盟の新たな意義が明記され、その実効性を担保するための日本政府の宿題が今般の法律 制定に繋がった。

 本来であれば、本法案の国会議論では、わが国の安全保障の要としている日米同盟の意義や在り方そのものを大いに議論するべきところであった。しかし、政府与党はそこを避 け抽象的説明を繰り返し、野党は徴兵制や自衛官のリスク等法案と無関係の議論を持ち出し議論が深まらず、国民の意見は大きく分裂した。

 反対の立場をとった国民が今後どのような行動に出るかも注目したいが、法案が可決した以上、より関心を持つべきは、政府と法案に賛同した国民が、法の運用についてどのよ うな責任ある態度をとるか、ということになろう。

 私が見るところ、賛同した国民の考えは、大別して二つの意見に分かれるのではないか と思われる。

 一つは、日本の安全を現実視して自国でその責任を遂行できる法律が必要だと考えた人。もう一つは、日米安保体制を強固にすることそれ自体が重要であると考えた人、だ。

 冷戦間、日米同盟を維持することの日本側のメリットは主に次の 3 点であるとしてきた。
@防衛費の抑制による経済発展と国民生活の向上、A日本の全般的な戦争抑止力の向上、B防衛力の量と質を限定しうることで軍事大国化を自己抑制。デメリットは、@戦争に巻き込まれる危険、A基地提供に伴う国民の負担。つまり日本は戦争を回避し経済活動に専念したいからこそ日米同盟を維持してきたわけだ。
 ちなみに、冷戦間に予想した戦争とは米ソ対決の世界規模の大戦争であるから、これは日米同盟があろうがなかろうが必然日本は巻き込まれる危険があった。だから、デメリットの@は回避不可能と判断し、日米同盟を強固に維持することで戦争が抑止されることを 国家戦略としてきたわけだ。

 現在の政府は、冷戦間の思考を引き継ぎ、依然として日米同盟に上記の3つのメリットがあると考えているのではあるまいか。

 メリットのBは、日本は日米同盟がなければ軍事大国化を自己抑制できないとも読める。米国の安保関係者によると、政府の官僚やいわゆる学識者と呼ばれている日本人の中には、日米同盟が必要な理由を「米国が日本を contain(封じ込める)ことだ」と米国内で発言している人が多くいるそうだ。その人たちは「もし同盟がなければ日本は一人歩きしてしまう。日米同盟がなければ日本は再び軍国主義国家へと変貌する」と言い回っているので、 多くのアメリカ人が日本は本当に危険なのではないかと誤解しているという。

 だからキッシンジャーのように「思いやり予算を受けながら『ビンのふた』として米軍 が駐留し、日本をジュニアパートナーにとどめておく現在の関係こそが米国にとって最善 である」とする現状維持論や、「日本が自己完結的な防衛力を指向し自立的な外交政策を追 求すれば『ビンのふたのない』脅威になる」とする対日警戒論が米国の対日政策として主 流を占めることになる。

 筆者も外務官僚や安保学識者の会同で同じような発言を何度も耳にしている。つまり、自虐史観を世界中に言いふらしているのは、何も左翼の連中だけではなく、実は保守とい われている連中も同じことをしているわけである。自虐史観を持ってソ連や中国に取り入ったか、米国に取り入ったかの違いだ。

 このような自虐史観を持った連中が愛国者を装って首相や政府のアドバイザーになり、さらには、保守系の団体や国民運動グループの役職に就き、あるいは講師として招致されている実態がある。

 現在、安全保障面で米国が日本に期待しているのは、グローバリゼーションの障害となるテロとの戦いにおいて(すでに市場の重要なメンバーである中国との戦争ではない)、自衛隊が作戦行動に参加することだ。つまり、経済活動のみに専念することなく防衛費を増額し、抑止の効かないテロとの戦いに実戦対処することが要求されているわけで、冷戦時のメリットの@やAはもはや日米安保のメリットではない。

 これに比べれば、日本の安全を現実視して自国でそれを保障できる法律が必要だと考える国民は、健全な思考だと思う。そのような人たちの多くは、米国の同意を取り付けつつ、日本が安全保障面で無責任な米国依存体質から脱却し自立性を回復することを目的として この法案に賛同した人も多いことだろう。

 だとすれば、今後この安保関連法でそれが果たせるのかが課題となる。しかし残念なが ら、マイケル・グリーンのような日米同盟の漸進主義者ですら指摘するように「日本は他 の同盟国のように米国をうまく利用しようとする考えがない」というのが実情だ。確立された主体的世界戦略がないのだから米国を利用しようなどというのは不可能なのだ。

 私の経験では、自衛隊の海外活動で他国軍人から冷笑を浴びたのは、現憲法下の法律に 従って行動せざるを得ない自衛隊は、軍隊のような見掛けをしているのに、迫撃砲弾が打ち込まれる等の危険が迫ると即座に全ての任務活動をやめて基地内の殻に閉じ篭って何もしないばかりでなく、自分の安全確保のためには逃げるように勝手に立ち去ってしまうこ と等だ。それ以外にも多くのことで他国の軍人から「それでも軍隊か」と謗(そし)られ るたびに「憲法上許されない」と自衛官は応えるしかない。

 武力行使には賛同しながら、憲法があるからといって協力できないと説明する論法は、米国はもちろん世界のどこへ行っても最悪のもので、決して誰も理解はしてくれない。ましてや軍人間では、卑怯で下劣で屑野郎扱いだ。

 こんな法的縛りの中で、自衛官に恥を晒させるような海外活動を強いているようでは、国際的信頼など得られるはずもない。また、日本の安全保障の根源である「日本人は勇敢 で不屈で恐れを知らない武人」というイメージは跡形もなく崩れ去ってしまう。

 このような情けない活動を自衛隊に強いている根本原因ともいえる「一体化」の回避は本法案では全く改正されてはいない。また、国内法を前提にした「ポジリスト」といわれる警察法の延長で海外での自衛隊の活動を規定しようとする考えもそのままだ。

 つまり、憲法の改正がない限り、日本の安全を現実視して自国でその責任を遂行できる 法律の制定はできないということだ。

 繰り返すが、法案が可決したので良かった、などとする態度は許されまい。この法律の下で現実の国際問題にいかに日本が対処するのかに細心の注意を払っていかなくてはならない。そして、日本の政治力は米国をうまく利用できるようなレベルにはないどころか、自虐史観の官僚や学識者等戦後保守派が政治を主導しているのだから、安倍政権を盛り立てておけばいいなどと浮かれていてはだめだ。伝統保守が正論を掲げ民意の力で政府をして国際交渉に当たらせるよう圧力をかけなくてはならない。

 私は、日本国民が「神ながらの道」と神武建国の理念である「八紘為宇」を捨て、欧米世俗主義の殻をかぶった国民国家の生き残りだけを目指すことにならないよう切に祈るものである。
posted by RBRA at 12:45| Comment(0) | TrackBack(0) | 幹事 荒谷卓