2012年08月09日

幹事長 伊藤祐靖の月いちコラム

ミンダナオの第1夜

ある日、艦艇部隊への転勤内示を受けた。「防衛省は、この部隊を本気で使う気がない」。そう確信し、退職を決意した。選び抜き、育て上げ、国家のためにいつでも心身を捧げる準備の整った者達が、その志を遂げることができる組織を自分の手で創らなければ、あの日真っ暗な日本海で溺死することを覚悟した彼らに会えたことも、生まれも育ちも別々だけど死ぬ時は一緒だろうと感じ合っていた者達との時間も無駄になる。退職の辞令書を受け取った時、たった一人の民間人となった自分にできる訳がないという絶望と、できるかもしれないという希望が複雑に絡み合っていた。同時に、これはいつものことなんだとも思っていた。諦めさえしなければ、そして、やろうとしていることに正義があるのなら、どんなことでも必ず実現する。もう、退路は断ってしまったんだ。グダグダ考えてもしょうがない。まずは、民間人であっても、撃てて、潜れて、しかも平和ボケしない治安の悪い処に身を置こう。翌日、なんのあてもないままミンダナオ島に向かって飛び立っていた。

ミンダナオ島の玄関であるダバオへは、黄昏時に到着した。ダバオ国際空港は、数年前の爆破テロ事件後に新設されたコンクリート打ちっぱなしの2階建てで、冷房もついていた。機内に持ち込めないロングフィンを受け取り、建屋から出ようとすると、まもなく真っ暗になるところだった。
何の“つて”も、知り合いも居ない私は、自炊ができる安宿に2泊だけ予約を入れてあった。今晩と明日は、とりあえず安心して寝られる。「やっと着いた。いよいよだ」という期待感と、「とうとう来ちまった。始まる」という不安感が複雑に絡んだ感傷に浸る予定であったが、建屋を出ると、いきなり、そんな悠長なことを言っちゃいられない現実が目の前にあった。
(あれっ、20人位は一緒の飛行機にいたはずなのに……)
人が居ない。車が見えない。タクシーなんか来るわけない。
「おいおいおい、ここ国際空港じゃなかったっけ??」
「どうやって、市の中心へ行けばいいんだ??」
 いきなり、途方に暮れそうになっていると、前方500m位に道があり、そこを車が走っているのが見えた。でも、なぜかすべて無灯火だった。街灯がまったくない道を無灯火の車が走っている。不気味で怪しい雰囲気だったが、爆破テロ事件で30名近くが亡くなっている空港からさっさと遠ざかりたかったし、何よりあの道を走っている車に乗らない限り市の中心部へ行くことはできない。他に選択肢がない私は歩いて辛うじて舗装道路と呼べる車道へ向かった。車道に着くと、すぐに、絵に描いたようなボロボロのトラックが走ってきたので、道に出て、「とうせんぼ」してトラックを止めた。開けっ放しの窓から、汗だくの肌に土ぼこりがこびり付いた顔を突き出したおっさんが、怒るでもなく、話しかけてきた。
「どうした?」
「ダウンタウンへ連れてってくれ」
「ダウンタウンで何をする?」
「ホテルに予約をとってある」
「ホテルの名前は?」
「ヴェロニカ」
「ふ〜ん、荷台に乗れ」
「ヴェロニカを知ってるのか?」
「知ってる」
どう見ても知らない表情だったが、湧き上がってくる不安をかき消そうと、片足をタイヤにかけて飛び乗った。
荷台はガランと何もなく、おっさんの顔以上に干乾びた泥がこびり付いていた。このトラックも真っ暗なのにヘッドライトは点けていない。しばらくすると、その点けない理由がわかってきた。この付近は、物凄い煙でライトを点けるとその光が乱反射してかえって見にくいのだ。その時間帯は、住人が一斉に外で夕飯の支度をする。その際に使うココナッツの炭から出る煙で非常に視界が悪くなる。なぜか、ココナッツ製の炭はやたらと煙が出る。
真っ暗な中をヘッドライトをつけずゆっくりと走っているのに、時折激しくジャンプするトラックの荷台から、もうもうと立ち込める煙の中にいる人が見えた。昔はTシャツだったんだろうけど、今はタンクトップに近い布切れなっている物をまとったおっさんが、うつろな目でこちらを見ていた。
(エラい所にきちまったな〜、ここまでしなくてもよかったんじゃないのかな〜)
(でも、これがいつもの俺のパターンなんだよな〜)
後悔に似た感情を、これは運命であって、いつものことなんだと慰めている自分がいた。
ふと我に返り、あることに気がついた。さっきから結構走っているし、街の中心に向かっているはずなのに、1階建ての家しかない。しかも、いまだ街灯はなく、煙で視界がやたら悪い。あの運転手に騙されているとすれば、俺はミンダナオ到着後わずか1時間で終わりになる。銃は当然持っておらず、ナイフが1本だけ。とれる選択肢は、3つしかなかった。
まずは、“スピードが緩んだ時にこのトラックから降りてしまう”。しかし、この暗闇を徒歩単独で市内へ行くのは、無理だった。
次は、“運転手を信じて、ここだと言われるまで乗っている”。もし、騙されているとすれば、絶対に不利な状況に追い込まれてから反撃することになる。
最後は、“運転手が脆弱な運転中に、こっちから先に仕掛けて、トラックを奪って自分で運転して市内に行く”。運転手に、もし悪意がなかったとすれば、ただの強盗になる……。
つまらない情とか躊躇とかが命とりになるのは、この世界の常識だけど、今この条件だけでやっちまうのは、いくらなんでもやり過ぎだろう……。でも、もしかしたら今の俺のこの状態を“つまらない情とか躊躇に囚われてる奴”っていうのかもしれない……。平和ボケがもう始まってんのかもしれない……。あれこれ想いを巡らせていると、付近の建物が2階建てだということがシルエットで辛じてわかるところで、急にトラックが止まった。
「降りろ」
「俺は、ダウンタウンに行きたいんだ」
「ヴェロニカじゃないのか?」
「ヴェロニカは、ダウンタウンにある」
「ヴェロニカはこの辺だ。降りろ、降りろ」
少なくとも、今は最悪じゃない。運転手の仲間の待ち構える最悪の場所に連れて込まれた訳じゃない。それより、こいつの顔に悪意はなさそうな感じだし、早く俺を降ろして出発したそうなので、ここは流れに任せてさっさと降りる方がいい気がした。
「ありがとう。でも、ヴェロニカがなかったら。必ずこのトラックを見つけて爆破するぞ」
「グット・ラック、マイ・フレンド」冗談と本気が半々の私の言葉をニッコリと笑顔で返してきた。南国特有の人懐っこさと“いい加減さ”の入り混じった笑顔である。(いい奴みたいだ、臆病風に吹かれて、こいつをやっちまわなくてよかった……)

「ヴェロニカ」はすぐに見つかった。想像以上にまともな外観だった。部屋に入ってまずしたことは、現地通貨を並べて色とその価値を覚えること。払う時にいちいち紙幣の数字なんか見てると、ろくなことは起きない。コインについても同様で大きさと色を憶えた。見知らぬ土地では現地の者に違和感を与えることが面倒臭い出来事の引き金になる。
次は円との為替レートではなく、貨幣価値を知る必要があった。これを知らないと、買い物はできても、チップが渡せない。チップというのは、下手な金額やタイミング、手渡し方をするくらいなら、渡さない方がよっぽどいい。

宿を出て食事をしようとうろうろしていると、街灯のない真っ暗な道に止めたバイクに跨ったおっさんがこちらを見ている。近づくと話しかけてきた。
「何してんだ?」
「レストランを探してる」
「レストラン?」
「腹が減ってんだ」
「お〜、カンティーン」
カンティーンって、水筒のことじゃなかったっけ?? しかし、このおっさんは、食べる仕草をしている。通じてるみたいだ。カンティーンってそういう意味があんのか??
「乗れよ。連れて行く」。3、4分バイクの後ろに乗って着いたのは、ほとんど普通の家と変わらない場所だった。唯一の違いは軒先に、いくつか両手鍋が置かれていた事くらいで、それを選んで食べる場所だった。バイクのおっさんにポケットから一番安い紙幣を渡した。日本円で50円。驚くでもなく怒るでもなく、そのおっさんは、普通の顔で帰っていった。
 レストランとは到底言えないその中に入っていくと、プラスチック製の背のない椅子が4つあって奥のほうで家族がテレビを見ている。その椅子に座ると、奥から文句ありげな顔をしたおっさんが出てきた。
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「ビアーくれ」
「ノー」「体によくない。まず、食べろ」
「メニューは?」
「ノー」いくつか並んでいる鍋を指差した。
「鍋の中見てもいいか」
「ノー」「手を洗え」
「どこで?」
「ついて来い」
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触ったほうが汚れそうな蛇口

屋根の存在が中途半端で屋外と屋内の区別が難しい、汚い家の奥に行くと蛇口があった。その蛇口を触ったほうが明らかに汚れる。が、仕方なく手を洗った。今度は、タオルを渡してくれようとする。それは、絶対に使ってはいけない色をしていた。遠慮している振りをして、着ているシャツで手を拭いた。
 鍋の中を見て、これとこれ、適当に言って、ライスと一緒に食べようとした。
「スプーンかフォークくれ」
「ノー」「手で食べろ」。だから手を洗ったのか……。
「なぜ、コーラを飲まない??」
「俺はコーラは嫌いだ」
「俺のおごりだ」おっさんがコーラを持ってきた。何で嫌いだって言うのにおごるんだろうと不思議に思いつつ、コーラを飲みながら食べた。
「よし、ビアー飲め」
自信満々にビアーを持ってきてくれたけど、食後にビアーはいらね〜けどと思いながら飲んでいた。
「お前見ない顔だな」
「1時間前に日本から着いた」
おっさんの表情が一変し、奥にいた家族全員に向かって大声で呼びかけた。
「ここの俺の友達は今日本から着いたんだ」
そうすると、上がれ上がれって家族がテレビを見ていた部屋から手招きされ、呼び込まれた。ラムをひとつのコップについで一気飲みを全員で回し始めた。「次はお前だ」と勧められ、質問攻めにあった。
「日本では、何やってんだ??」
「日本では無職だ。ここで何をしようか、考えてるところだ??」「あんたらこそ仕事は??」
「3人兄弟でみんな海軍だ」
「へ〜海軍。俺も日本では海軍だったんだ。海軍で何やってんだ??」
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「俺たちは、魚を釣ってる」
「???? 海軍で魚を釣る?? それ漁師じゃん、海軍じゃね〜だろ」
「俺たちは海軍って呼び合ってる」
「ん〜〜〜、どうなんだ????、あ〜そう」
「タバコ吸うか??」
「俺は特殊部隊に入る時に止めた。あんたは、さっきから、ずっと吸ってるけど一日に何本吸うんだ??」
「3人で4箱だ」
「何で『3人で』なんだ??」
「いつも一緒だから、ひとり何本吸うかはわからない」
「漁に出てる時は? 一人乗りの船なんだろ」
「船では吸わない」
「なんで」
「体に良くない」
「じゃ〜タバコ止めたら」
「ノープロブレム、マイ・フレンド」なんだかんだと、このインチキ海軍3兄弟のペースにはめられてきた。
「宿なんか高いから、ここに泊まれ」
「ここのどこで寝るんだ?」
「俺の娘の部屋に泊まれ」
「何?? 娘は、何歳なんだ??」
「22歳だ」
「それまずいだろ」
「お前は外国人だから、この暑さじゃ何もできないから安心してる。あと、あいつは男みたいな体型なんだ」
「確かにこの暑さじゃね〜。でも体型はあんまり関係ないだろ」

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3時間位、飲んでしゃべっていたが、ラムもなくなってきたのでそろそろ帰ることにした。 
「帰るよ、いくら?」
「今日は友達の歓迎会だから金なんか要らない。明日も来いよ」
「来るかもな……」

さっきっから、冗談みたいなことばっかり起きているけど、俺はここに冒険旅行に来たわけじゃない。撃てて、潜れて、平和ボケしない治安の悪さを求めて来たんだ。とりあえずは、ここにいれば平和ボケしないことだけはわかった。明日からは、撃てて、潜れる環境と、ささやかであっても安全を確保できる拠点を作らなければならない。どうやったらできるのかなんて、さっぱりわからなかった。しかし、明日中にその糸口と出会うことになる。そんな予感はしていた。
posted by RBRA at 18:53| Comment(0) | TrackBack(0) | 幹事長 伊藤祐靖
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