2012年09月24日

ここか? 他か? 戻るのか?

ここか? 他か? 戻るのか?

ミンダナオ島3日目の夜、この辺りにしては小奇麗な宿で、ばかに安いラム酒を飲みながら、この島に残るべきか、他の場所に行くべきか、日本に戻るべきかを考えていた。
他人を必要以上に信じず、かつ、疑わない透明な心を取り戻そうとしていると、自分がどう行動すべきかを考えているつもりが、いつの間にか自分の願望通りに行動するための理屈を考えている。自分は、これをよくやっていることがわかってきた。どうあるべきかを議論しているのに、自分の意見を押し通すためのディベートをしているようなものである。
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だから、この島にいるべきか日本に帰るべきかを考えようとしているはずが、実は、この島に居たくてその理屈を考えていたり、日本に帰りたくてその理屈を考えていたりするのかもしれない。
分かれ道の一歩目を願望が混在した心で考えた場合、途中で間違いに気付いても、そのまま、自分の願望を押し進めようとしてしまう気がする。俺はそんなに強くない。そして、その間違いに気付いていないふりをし始め、最後は自分をも騙し通そうとするだろう。だから、絶対に第一歩を間違うわけにはいかない。
しかし、最後は、やっぱり自分を信じるしかない。安心して任せることはできないが、注意して、疑って、最後は信じるしかない。―この時、これこそが至誠なんだと気付いた。至誠とは、自分の感性を疑い、確認し、間違いないと下した結論を信じることなんだ。日本海軍伝統の五省のうち、“至誠に悖るなかりしか”“努力に恨みなかりしか”の2つだけは日に何度も唱えていたが、至誠という言葉の持つ本当の意味を理解していなかった。
また、そう考えてくると、特殊部隊に居た時の死に対する覚悟なんて、大した話ではないこともわかってきた。死というものは、希望、可能性、不安、絶望等、良くも悪くも、すべてのものから人を解放する。そこに任務という大義名分があるとしたら……。その死は、どうしても譲れない1つのことを貫くために99の不本意を許容しながら生き続けることに比べたら、遥かに容易い。
自分の信念だとか志だとか格好のいいことを言い、その為であれば死を許容することは当然だと思っていた。しかし、所詮、法治国家の平時に暮らし、現金収入という生活の糧を確保しつつ、大義ある死を覚悟したにすぎなかった。

では今から実際に、法治国家でもなければ平時でもない島に暮らし、収入ゼロという現実の中、射殺死体になって、「やっぱりあいつはバカだった」と言われる危険を冒してまでやろうとしていることは何なんだ。一体何をどうしたいしたいというのだ。何のために特殊部隊を辞め、日本を離れ、ここに来たのか? 確かに「撃てて、潜れて、平和ボケしない緊張感」を求めてきたけれど、それは、部隊創設以来作り上げてきたコネからの情報ルートを維持し、世界の何処へでも行って、必要な技術を習得してこられる自分で居続けるためだ。それは、特殊部隊ばかりではなく、自衛隊、海上保安庁、警察、……公のためにその身を使おうとしている人達にその情報、技術を伝えるためだ。じゃあ、何のために伝えるんだ? 日本を守る。国民の生命財産を守るため。ということは、国にとって一番大切なものは、生命と財産ってことなのか? それより大切なものってないのか? 少なくとも俺には、命、財産より大切なものがある。それって、個人の人生観
か〜。じゃあ、国としての人生観は……。
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そもそも、国境の内側の人のことは生命を賭してでも守るが、外側の人はどうなってもいいのか? この島で、夢と希望を持って必死で生きている若者より、うまく行かない理由を他人に求め、物欲しそうな目をして努力しない日本の若者を大切にするのか? 国って何なんだ。人であれば人生観として、生まれてきた理由、生きている理由を決められるけど、日本という国を作った理由、存在する理由は何なんだ? 国として何を目指してるんだ? おいおい、それって、42年も日本人やっといて、今さら考えることじゃないだろう。防衛省に20年も居て、退職してから考えることじゃなくて、入隊する前に答えがあって、それを実現するために入隊するんじゃないのか。生活の糧を捨て、一人になって日本を外から見た途端に、自分のすべてがわからなくなってきた。この島に残るのか、移るのか、日本に帰るのかという次元を飛び越え、自分は何のために何をしてきたのかも、今から何をしようとしているのかもわからなくなってしまった。
異臭が漂い、衛生観念がなく、銃を持った奴がうろうろしている。―この島は、嫌なこと、驚くこと、危険なことだらけだ。なのに、この心地よさはなんなんだろう。みんな真剣に生きているからなのか? ジェット戦闘機と戦車と潜水艦を持っていながら「軍隊ではないんです」という日本のように、社会全体で見て見ぬ振りをしている嘘がないからなのか? それだけではない。何かがある。ここを心地いいと感じる理由が見えてくれば、自分が見えてくるに違いない。それまでは、居るべきだ。住むことを決意したのは、ここに来た理由からではなかった。しかも、この時点では、そもそもここへやってきた3つの理由のうちの、「平和ボケしない緊張感」と「いつでも潜れる環境」しか整っていなかった。「射撃ができる環境」は、まだ、なかった。
しかし程なく、それは整えるものではなく、撃たなければならない状況が勝手に向こうから来てくれることを知る。そして、銃声が止んだ後に立っているのは、命中弾を食らうまいと遠くから撃った者ではなく、例外なく被弾を覚悟し、絶対に外しっこない距離まで入り込んで行った者だった。聞いたり、読んだり、実弾がとび交わない訓練で、何となく感じていたことではあったが、被弾を覚悟した者が勝つという必然不変の現実を、幾度となく目撃し、体験することになる。
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posted by RBRA at 23:40| Comment(0) | TrackBack(0) | 幹事長 伊藤祐靖
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