2016年05月30日

陸上自衛官の武器科職種OB会講演C

【神話にみる日本文化の源泉】

私はそこで「古事記」の話をしました。
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古事記の冒頭は、『天地(アメツチ)の初まり、高天原(タカマノハラ)に成った神の名は、天之御中主神(アメノミナカヌシノカミ)』と書いてあります。
神道に、統一した解釈は無いのですが、一つの解釈として、宇宙の最初は、中心としてのエネルギーが成り顕れた。その中心エネルギーを天之御中主神とよんだと。中心が出来ると同時に、高御産巣日神(タカミムスヒノカミ)と神御産巣日神(カミムスヒノカミ)が成り顕れた。
「ムスヒ」とは産霊とも書き、現代語で言う「むすび」です。つまり、何かを生み出す創造エネルギーのことをいうのです。高御産巣日神は膨張するエネルギー、神御産巣日神は収縮するエネルギーです。
ですから、神道の宇宙観では、中心と、中心へのエンルギーの集中、中心からのエネルギーの拡張によって、創造活動か始まったという考えです。

上の図に、トーラス・エネルギーのイメージ絵が書いてあります。中心が出来ると中心の周りをエネルギーが循環・還元するという宇宙の基本構造は、素粒子物理学でいっている宇宙創造のイメージで、日本神話のイメージも最新の素粒子物理学と全く同じではないかと話が盛り上がりました。
トーラスの形状を、中心へとエネルギーが入っていく方向から見るとブラックホールです。反対から見るとエネルギーが出てくるビッグバン状態になる。
武道では、これを陰陽一体といって、気エネルギーの循環としての一つの理合いです。武道では、心身の中心である丹田に気を充実させ、丹田を中心に気と力を循環・還元させるわけです。
最先端の科学と日本の武道がどう噛み合うのかと最初は心配しておりましたが、セミナーを通じて、参加者と色々な話をしながら稽古をしているうちに、CERNで実験している宇宙の真理を、武道では自分の心身を素材にして探求している。
つまり、個人も宇宙も、素粒子物理学の真理も武道の心理も夫々がハーモナイズされているのだということに参加者は興奮を覚えておりました。

武道セミナーでは、産霊(ムスヒ)についても少し詳しく説明しました。
ムスヒつまり「結び」と言う言葉は、日本では、例えば男女が「結ばれる」という具合に使います。男女が結ばれたエネルギー(霊)が子に成る。霊が男になるので彦(ヒコ)、霊が女なら姫(ヒメ)になる。また、「産す(ムス)」のが男子(オノコ)だとムスコ(息子)、女子(ヒメ)だとムスメ(娘)になる訳です。
武道にも「結び」があります。剣と剣を合わせることを「斬り結び」と言います。切り殺すとか、切り倒すという発想を越えた、「切り結び」と言う言葉には、戦いにおいてさえも、敵の殺傷ではなく共生と創造を託す思いがこめられています。

この様な武の考えの源泉は、日本神話の中の、「国譲り」という話の中にあります。
高天原の使者である武甕槌大神(タケミカヅチノカミ)、この神様は鹿島神宮の御祭神で、武の神様ですが、この武甕槌大神が大国主神(オオクニヌシノカミ)と国譲りの交渉をします。
このとき、武甕槌大神は、大国主神がウシハク統治すなわち私権による統治をしていることは宜しくない、天孫によるシロシメス統治、すなわち人々の心を知る統治が大切なのだという話をします。
大国主神はこれに納得します。しかし、息子の猛々しい建御名方命(タケミナカタノミコト)は賛同せず、武甕槌大神に戦いを挑んだのです。
いざ戦うと、武甕槌大神の武威は凄まじく、圧倒された建御名方命は、逃げに逃げ諏訪湖の湖畔に来て降参をしました。これに対して、武甕槌大神は殺すことなく、そこにお社を建てて建御名方命の武威を祀ったのが諏訪大社。それから日本で一番大きいお社である出雲大社を建てて、大国主神をお祀りした。ここには、勝った者が負けた者を尊び敬うという思想が出てくるのです。
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私は、ドイツでケルンの大聖堂を見ました。ケルンはローマの植民地でした。ローマ・カソリックの大聖堂の真下にはゲルマンの御社跡があり、それが発掘されて見学できるようになっています。つまりローマ軍が侵攻した時に、ゲルマン民族の神の社を潰して、その上に教会を建てキリスト以外の神を抹消していったのです。
日本では、全国に、その土地の神様、里の氏神様等天照大神系でない神様の神社がいっぱい残っています。つまり信仰上の排他的活動はしなかったという証です。
日本の武神は、戦いの後は相手を尊び、その尊厳を損なわず祀ったのです。これが、武士の礼といわれることの根底の発想になっています。

戦略論では、クラウゼヴィッツと孫子が有名ですが、この戦略論は、敵味方論になっております。
自分の価値に同意しない敵を排除するのが、今のグローバル・スタンダードのやり方、すなわちクラウゼヴィッツや孫子的な戦略論なのです。
これに対して日本の戦略論の代表である、楠正成の遺訓を見てみたいと思います。

兵を学ぶ法は、心性を悟り庶民を親愛するを上とし、計謀によって学ぶを中とし、戦術をむさぼり習うを下とする。〈中略〉
将に徳あるときは、敵の兵必ず我兵となり、敵の民我民となる。
将に智あるときは、敵の謀我謀となし、敵の利もまた我利となる。
将に勇のあるときは、敵の威我威となり、敵の能我能となる。 
この三徳を以て、明らかに方法を明察し、敵の謀に乗じて、却ってこれを覆す、これ名づけて上将の軍法とす。
中将は、自らその徳を積まず、その功を求め、ただ敵の謀を察し、その計略を欺き、我謀を多くして、敵を殺さんことを用いて、敵の生ずるところを知らず、十度戦いて十度勝と言えども、未だかつてその太平を知らず、これ中将の法なり。
下将は、ひとえに戦いを好んで、利を争い、士民を使うに怒りを以てし、人を従えるに専ら殺罰を用い、己の勢いを頼んで敵の智謀を悟らず。〈以下略〉
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正成が「上」としたのは、「心性を悟り庶民を親愛する」兵法です。つまり、庶民との調和です。ですから、「徳」、「智」、「勇」を「調和と均衡の徳」「調和と均衡の知恵」「調和と均衡の勇気」と読み替えてみると言わんとしていることがよくわかります。
調和と均衡をもたらす戦略により、敵の兵も、敵の民も、敵の謀も、敵の利も、敵の威も、敵の能力もすべて我のものになるということです。傑出した和の兵法です。事実、彼は、圧倒的に少ない兵にもかかわらず庶民の力をもって鎌倉幕府を倒しました。
「中」の将は、「調和と均衡」の考えがないものだから、十戦十勝しても、世の中を平和にできない。現在の米国を見れば、言い得て然りです。
「下」の将に至っては、調和どころか辺りかまわず対立をせっせと作るばかりで、結局は自滅することになる。

クラウゼヴィッツの戦争論も孫子の兵法も優れた理論でありますが、敵は敵、味方は味方という前提です。チェスと一緒ですね。敵の駒は終始敵の駒、味方の駒は終始味方の駒、ところが将棋の駒は取ると我が駒になりますね。死に駒が一つも無い。敵の兵も自分の兵になるのだと。敵の民は、我が民となる発想が日本の戦略にはあるのです。
これは、クラウゼヴィツや孫子より一段上の戦略的発想です。特に、今のグローバル化した世界で、敵は敵、イスラムは絶対ダメなんてやっていますと、永久に安定した秩序構築は出来ないでしょう。
だから、テロとの戦いは、どんどんエスカレートしている訳です。終わりが見えてこないのです。楠正成の軍法「敵をして、敵の民を我が民とする。」そういう考えを基にしないと現状の問題は解決しないでしょう。(つづく)
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2016年05月20日

陸上自衛官の武器科職種OB会講演B

【明治神宮至誠館館長としての活動】

 明治神宮至誠館では、海外から武道と神道の研修生を受け入れています。毎年1〜2名の海外門人に対し、奨学金を出して、1〜2カ月間、明治神宮至誠館で武道と神道を研修するのです。
その中で、昨年イスラエルから初めて研修生を受け入れました。その人は、イスラエル生まれの正統なユダヤ教徒です。
 彼は、オックスフォード大学の哲学博士で、大学で学生を指導していた非常なインテリなのでが、ヨーロッパの至誠館武道セミナーに参加して、日本の神道と武士道の精神性に強い関心を持ちました。そうして彼は、どうしても日本に行って、日本の神道と武道を勉強したくなったらしいのです。
 しかし、ユダヤ教では、ユダヤの神以外を信ずることは禁止され、神道も自然崇拝として否定されています。それでも、ジョナサンは日本の神社に行って研修を受けたくて、親族会議が開かれたそうです。そこで、アメリカ国籍で、先の大戦時、アメリカ空軍のパイロットとして従軍し、日本国内で墜落して捕虜として福岡の捕虜収容所に終戦までいたという伯父さんが、親族に対して説明した言葉は、「私は、アメリカ人として従軍したが、米国社会でユダヤ人は常に疎外感を受けていた。驚くべきことに、捕虜として日本での生活の間、そのような差別感を全く感じることはなく、自分にとって最も心の安心を得た期間だった。イスラエル以外で自分が受け入れられた社会は、日本だけであった。」というのです。この伯父さんの言葉で、親族の同意を得て、彼は研修に参加することを許されたそうです。
 彼本人も、ヨーロッパで暮らしても、アメリカに行っても、常にユダヤ人としての疎外感を感じるが、日本では心地よい受容の空気を感じるといいます。
 神道の祭典に参加した彼は、『信仰の義務付けが存在しない神道は素晴らしいと思います。これは私が今まで出会ったことのない宗教観です。神道では、厳格な規制や考え方が無いために幅広い多様性と自由が生まれるのです。』と言っています。
 また、彼は研修成果報告の中で次のように記しています。『日本の「調和」の精神は心を和らげてくれました。調和と共助の要素を持つ日本社会がどの様に構成されているのか、自分自身に問いかけてみました。私達は皆、恩恵を与えてくれた祖先に借りがあり、その借りを次世代に返す役割があります。この恩恵に対する「感謝のこころ」は伝統的社会では受け継がれていても、個人主義的な現代社会では失われています。日本の社会には「感謝のこころ」がしっかりと認識され、存在していることを知りました。この「感謝のこころ」が、日本だけでなく世界の国々の多くの文化で共感できる価値観だと、思います。この「感謝のこころ」を持つことによって、人々が同じ土台に立てるのです。』と。明治神宮での研修を期に、彼は毎年日本に来て、神道と武道精神を学び続けています。将来は、母国イスラエルと日本で半々の時間を過ごせるようにしたいと考えているようです。
 日本人の中にはこういう受容と和の文化が自然に根付いており、彼の伯父が言ったように、他者を排除しないという社会の空気があると言うことは、派他の外国人も皆、共通して指摘するところです。

 神道には教義のようなものは有りません。神社だけではなく、自然や祖先とのかかわりで、夫々の人が感じるものが神道であり、彼が感じたのが、彼にとっての神道となるのです。
 グローバル化した社会だからこそ、むしろ価値観の多様性を本当の意味で共用できる、お互いが尊敬を持って存在しえる日本の文化は重要です。
 神道では、ユダヤ教徒、キリスト教徒、イスラム教徒であるかどうかなどということ一切問わないのです。神社がそうであるように、あらゆる人々条件を付けずに受け入れる。こういう受容性が非常に大事で、日本人が当たり前だと思っていることが、実はすごく特異で素晴らしいのだと彼は言う訳です。

 5年前に、ポーランドで至誠館武道セミナーを開催した時、イギリス人の参加者の方の親友がアフガニスタンで亡くなったという訃報が届きました。そのイギリス人は、非常に悲しまれ、セミナーへの参加を継続できないと言ってきました。
 至誠館武道のセミナーでは、開会式と閉会式は神道の祭典を執り行うため、常に神官が同行しているのですが、そのときのセミナーに同行していた明治神宮の神官が、「それでは貴方のご親友の鎮魂祭をやりましょう。」と提案したのです。
 次の朝、早朝にみんなが集まって、会場にある一番大きな木にしめ縄を張って、鎮魂祭を執り行いました。その時の神職の祝詞は、「かけまくも、かしこきキリストの大神の御前にかしこみかしこみも白さく・・・」と、亡くなった方が信仰していたキリスト様に鎮魂をお願いする内容でした。
 そしたら、そこに集まっていた約100名の欧州各国の参加者は、皆大感激なのです。こんなことがあるのかというぐらいの大感動なのです。インター・レリジョンとでも申しますか。宗教の境界を意図も簡単に乗り越え、鎮魂際を為しえたのです。
 それ以来、海外での武道セミナーで神官は、大人気です。
 また、祭典で使用した、しめ縄や幣帛を頂けないかなどと言う人もいました。
実は、ポーランドの人は90%以上がカトリックですが、カトリックに改宗する前のスラブの民族神話があって、その民族信仰の様子を描いた絵が残っています。その絵を持ってきてくれて、それを見てみると、木に縄を巻いて、神道の祭儀と同じ様なことを行っている絵があるのです。
 彼らのスラブ民族の祖先は同じ様な信仰行事をしていたのではないかと彼らが言い出し、だから神道の祭儀の道具をくれないかと。
 同じように、ドイツで神道の祭典を執り行ったときも、神道の祭儀はゲルマン人の森の信仰そのものだと言っていました。
 人類共通のエートス(ethos:一般に、ある社会集団・民族を支配する倫理的な心的態度のこと)があるというのは、そういう意味なのです。

 欧州においては、キリスト教の布教と近代の世俗主義によって社会の価値観が一転二転して、それまでの民族信仰は根絶やしにされてしまいました。彼らの元々の民族的価値観が、一体どのようなものだったのか分らなくなっているのです。それに比して、日本は、弥生時代からの信仰儀式をいまだに生きた信仰として守っている。そこに彼らは、価値と普遍性を感じ、ポスト・グローバリゼーションのトリガーになるのではないかと考えているのです。

 一昨年、ジュネーブで開催された武道講習会に指導者として呼ばれました。開催場所は、欧州原子力核研究機構(CERN)という世界最大の素粒子物理学の研究施設です。ジュネーブとフランスの国境に跨って地中に27Kmの超伝導のサークルを2本作って、超高速で原子を飛ばし途中で衝突させて原子を破砕し、素粒子を観察している実験場です。少し前に、ヒッグス粒子等質量のない素粒子を発見したことで有名です。
いまや、物理学は、ニュートン力学の時代は終わって素粒子の世界になっている訳で、その最先端の実験施設に、武道講習会の指導者として呼ばれて行ったわけです。
 この施設では、宇宙はどのように出来たのかということを実験的に証明しようとしています。大体今分っているのは、宇宙の最初には物質は無かった。つまりエネルギーのような非物質しかなかった。その非物質が高密度に凝縮したところで、ビッグバンが起きて、エネルギーが拡散していく中で物質が凝固し星が出来た。その物質は、一定期間経つとまた非物質に変換する。こういうことは、実験で証明されているそうです。
宇宙には、ビッグバンのようなプラスのエネルギーと、正反対のマイナスのエネルギーも有るのだと。マイナスのエネルギーとはブラックホールのようなものです。
 これは、ヨーロッパ人の人々にとって非常にショッキングな実験でした。特にキリスト教の信仰者やニュートン力学に閉じこもった科学者には、今まで正しいと思っていたことがどんどん否定されていく。非常にショッキングなことです。
さて、そこで何故私をよんだのかという話とかかわってくるのです。
日本の神道の宇宙観、自然観、人間観とはどういうものなのか、ということです。(つづく)
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2016年05月11日

武器科職種OB会講演A

【明治神宮至誠館館長としての活動】

武道場の館長になり、毎年、欧州を中心に武道指導に行きだして分かったことは、グローバル資本主義の方向性は、必ずしも世界的な賛同を受けていないということです。国際武道講習会に参加する多くの国の参加者が、グローバル資本主義に対して強い疑念を持っているのです。

日本では武道人口は減少しておりますが、海外では武道人口が急増しています。これは色々な背景があって一概に言えないのですが、多くの方々が日本武道に関心を示す理由は、その精神性にあります。
例えば、フランスでは、日本より先に青少年の倫理教育に日本武道を取り入れています。革命以来、世俗主義のフランスではありますが、世俗主義であるからこそ、人間の力で自らの精神性を高めていくというところに武道の価値を認め、フランスの青少年の教育に取り入れているのです。

東日本大震災があった平成23年8月、フランスで国際武道講習会を開催しました。その講習会に、フランスの青少年の倫理担当の大臣が訪れ、講習会を見学し食事を一緒にしました。彼は、そこで、東日本大震災の際に、日本人が見せた勇気ある倫理的な行動を絶賛されました。そして、その背景にはきっと武士道精神があるのだろうと言われました。
しかし、現在の日本では、武士道を教えているところは殆ど有りませんし、東日本大震災の被災者の大多数の人々も武士道を修養していたとも思えません。私は、どう答えたら良いのかと思いました。ただ、日本人共通的に、利他的共助の精神があることは間違いないのです。
私が、アメリカに留学した時、南部がハリケーンに襲われました。その地域が無法地帯になり、物の争奪状態で治安が乱れ、海兵隊が出動したことがありました。その様なことを見ていましたので、日本では、どんな大きな災害があっても、略奪や強盗のような事態がおこらないことは、彼らにとって驚くべきことであるというのは、よく理解できます。
東日本大震災で日本人が見せた利他的助け合いの精神は、日本人に身についた精神文化ですから、何処でも助け合いの精神が働きます。これは何処からくるのかをフランスの大臣に説明しました。

自衛官として現役の時は、日本の神道とか武士道精神とかについて、さほど真剣に勉強したことがなかったのですが、明治神宮武道場館長に奉職することになり、神道や武道精神について真面目に勉強するようになりました。

私が館長に就任して、平成21年に欧州に国際至誠館武道連盟:International Shiseikan Budo Association(以下ISBA)という団体が創設されました。初代会長は、元在日ポーランド大使で、その後ポーランド外務大臣、現在はEUのデモクラティック・ファンドの常務理事をしています。
ISBAの設立の主旨には、「武道は日本の伝統文化に根ざしたもので、今日の世界的人類遺産の中でも極めて価値のあるものの一つである。日本武道の力と簡潔な美しさは、人間を惹きつける特有の精神と結びついており、そしてその精神は日本人のエートスとも言える基礎を形成している。それによって、我々は世界の運命を正しく豊かな道へと導くため、民族間の理解と親和を強化するに努めようと思う」と記しております。
この主旨で大事なのが、武道は日本の伝統文化であるのですが、実はそこには世界の民族に共通的に存在するエートスが含まれているのだと言っているところです。武道精神を決して日本固有と捉えていない。人類共通の普遍的精神価値が存在すると言っています。

平成23年には、同じ様な趣旨の組織がロシアに創設されました。ロシアのモスクワを中心に、サンクトペテルブルグからウラジオストックまでに広がる至誠館武道共同体:Commity Shiseikan Budo Dojo(以下CSBD)という組織です。この組織の代表は、こんなことを言っています。
「武士道は私に、人間の原点に戻ることを教えてくれます。心と精神と肉体が調和し、正しい判断のもと誠実に道徳的に行動することや、他人の利益のために自己を犠牲にすることを恐れない日本の武士道は、世界に類を見ない崇高な精神です。」

もともと、明治神宮至誠館では、東大、中大、専大、金沢大及び富山大等大学の合気道部等を指導していたのですが、最近では、モスクワ大、ハイデルベルグ大、シュトュットガルット大にもクラブが出来ました。
これらのクラブでは、「至誠館武道は心身の涵養に資するもので、世界をよりよくし得るものであると確信している。武道の修練が我々の社会、ひいては世界全体に重要な結果をもたらすと考え、その実現のため、また、自己の人生を築き上げていく上でも価値のあるものであると判断する。」と言う設立主旨を掲げています。
これらの組織に加盟する道場やクラブの人々は設立主旨に書いてある通り、武道の技術的関心だけでなく、精神的な関心が高いのです。

何故彼らがこんなことを言い出すのかということを聞いてみますと、現在のグローバル資本主義、自由競争主義が行き過ぎているという認識が背景にあるようです。
例えば、ドイツでは、「自国の民主主義的決定より優先してEUの金融機関の議決が優先されるというシステムはおかしい」と考えており、市場原理より民主主義が優先されるべきだと強く訴えています。
フランスなどでも、選挙戦の最大のポイントは、自由主義か民主主義かという選択です。
つまり、最近の先進諸国の選挙のテーマは、市場原理を秩序とするグローバル資本主義へ移行するか、国民の民主主義を 守るかが大きなテーマになってきています。
1990年代までは、グローバル資本主義に対してはアンチ・グローバル運動しかありませんでした。アンチというのは確立されたポリシーが無い、ただ反対というだけでしたから大きな政治的勢力にならなかったのです。
今は、ポスト・グローバル資本主義という考え方が形成されてきており、明確に次の世界の方向性を出そうという段階まで来ています。
そうした世界的大きな潮流と、武道精神は関連しているわけで、彼らは、我々日本人が考えているよりもっと大きな意味で、日本武道の精神的意義を捉えているのです。
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2016年05月04日

武器科職種OB会講演@

現役時代にお世話になった皆様に、自衛隊OBの一人として、社会活動に従事しているところの内容についてご報告させて頂きます。

【特殊作戦群の創設】

 陸上自衛隊に29年在職させて頂き、皆様と同じような経験を積んできましたが、ただ一つ特徴があるとすれば、特殊作戦に携わった点です。
 
 平成15年、米軍特殊作戦学校通称「グリーンベレー」に留学しました。とはいっても、学生として教育を受けているだけでは、特殊部隊の立ち上げには用を成さないので、米国に行ってから特殊作戦学校の校長に何度もお願いして、実質上、LOのように、校長室の隣に執務室を頂き、アメリカ軍の特殊作戦がどのような仕組みで運営されているのか、組織の構成、政治との関わり、通常の軍事作戦の教育との違い等を全般的に研修させて頂きました。
それらを持ち帰って部隊の立ち上げ準備に取り掛かりましたが、何せ米国と日本では政軍関係が全く違います。
 特殊作戦と通常作戦の違いは、一言で言えば政治との関わり方の違いであり、特殊部隊は、平時からまさに政治機能として運用されているという点です。 
それは米国だけではなく、イギリスのSAS、ドイツのKSK、オーストラリアのSAS等殆どの国が軍事、外交、情報、治安等を包括的に兼ね備えた実力部隊として特殊作戦部隊を運用しています。
 例えば、グリーンベレーの平時の指揮は国務長官や当事国の大使の下に置かれ、時にはホワイトハウス直轄になる。期待されるのはまさに政治活動そのもの、アメリカが推し進めるグローバル資本主義をいかに世界に拡張し定着させるかがその目的です。
 ブッシュ大統領の時に改定された陸軍の教範の頂点「OPERATONS」では、アメリカの新しい戦略「テロとの戦い」をどの様に認識するかが明記されています。その中では、『グローバル化は、失敗のリスクが大多数の者にもたらされる間に、富の恩恵が少数の者の手に集中され続け、この富の不平等な配分は、しばしば紛争の種である「持つ者と持たない者」の状態を創出する』とあります。
 そして、『この富の不平等な配分により、2015年では、世界の人口の約28億人程度が貧窮以下のレベルになるだろう』と見ております。貧窮以下のとは、自力で生きていけない貧しい状態のことです。しかし、この貧窮化した人達を救済するということは考えておりません。むしろ、『世界的な繁栄を共有する』と言う果しえない望みを持つ貧窮は、『過激なイデオロギーを信奉する傾向に向かうだろう。』と予想しています。
つまり、アメリカの進めているグローバル資本主義は、必然的にテロリストを産む。そのテロリストの活動を予防し対処することが「テロとの戦いの本質」なのだといっているわけです。
 これは陸軍の教範なので、簡単に書いてありますが、特殊部隊の教範では、もっと具体的に、例えばグローバル化のための政府転覆とか、アメリカにとって望ましい政権の維持とか。そういったことが、非通常戦と呼ばれる特殊作戦の概念区分になっています。ビンラディンの殺害のような作戦は、非通常作戦と言うよりは、直接行動と呼ばれる作戦区分に入ります。
アメリカ側は、当然日本もこういう活動の中に積極的に参加すべきだとの考えです。
 しかし、日本にはそのような国民的合意はない。政府にも、そうした意思はない。そんな中で、自衛隊がようやく特殊作戦部隊を創設するというので、米軍側も積極的に支援してくれたのです。
 しかし、私個人は、このような特殊作戦の実態を目にして、グローバル資本主義がこのまま進んで行っていいのだろうかと疑念を持ちました。
 グローバル資本主義の考えに積極的に追随するということが、本当に日本にとって良い事なのか、そういう疑念を持ったわけです。

 帰ってきてから、特殊作戦群の創設に関りましたが、日本の政治環境は、そこまで進んでいません。また、軍事に関る日米関係もそこまで進展していません。世界の軍事作戦がグローバル資本主義の政治経済活動を中 心に動いているという認識も、自衛隊にはありませんでした。
したがって、特殊作戦群の立ち上げから、戦力化には非常に難しいものがありました。
 結局、日本が目指すべき戦略目標と、政治行政の実態に疑問をもち、平成20年に自衛隊の職を辞する決断をしました。
その時点で、明治神宮の館長に就任することは決まっていませんでした。たまたま、大学の時から通っていたのが、明治神宮の武道場至誠館で、そこの館長にはいろいろお世話になっていたものですから、自分の決心について報告に伺ったところ、後を継いで至誠館の館長になれとのことでした。そうした経緯で退職1年後、館長職を引き継ぎました。

陸上自衛官 武器科職種OB会講演より
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2016年04月26日

至誠「レジリエンス」

現代社会のテーマ「レジリエンス」

現代はストレスの時代とも言われるほど、多くの人々が日常的に様々なストレスを感じて生きています。
そうした社会状況もあって、最近は、よく「レジリエンス:resilience」という言葉が使われるようになりました。
心理学では精神的ストレスに対する「回復力」や「抵抗力」と訳されることもあり、「(精神的)脆弱性」の反対の概念だと説明されています。
日本語では「胆力」という訳が最も適していると思いますが、これは鋼のような強さを指すのではなく、「柳のようにしなやかで決して折れない強さ」を意味します。失敗や窮地に追い込まれても、挫折することなく、その経験を糧に成長できる人間はレジリエンスが高いと言えるでしょう。故 事を借りれば、「災い転じて福と為す」力です。
レジリエンスは、危機管理でいうと「リスク・リカバリー」ということになります。
通常、危機管理というと、リスクを特定し、それを回避し低減することに特化しがちです。例えば、防災訓練や国民保護活動訓練等を見ていると、特定したリスクへの対処マニュアルに従い台本どおりに行動して「良し」としている場合が多いようです。しかし、実際にはリスクの特定も、リスクへの対処も常に不確定さを含んでいます。ですから、リスクを蒙ってしまってからのリカバリーも訓練しなくては危機管理能力の向上にはつながりません。
リスクに対する個人や組織のレジリエンス能力を養成することは、危機管理ではとても重要なことなのです。

現代の日本人のレジリエンスのレベルはどの程度か

人のレジリエンスを高めるには「知識」「協調性」「意志」という三つの要素が不可欠だと言われています。
精神的ストレスの多い現代は、ストレス対処の知識が巷にあふれています。ストレス対処のために、何らかの知識が有効であると言うことは確かでしょうが、知識が万能ではないということも確かです。
レジリエンスに「協調性」が求められるのは、協調するためにはその前提として一定の「自己犠牲を許容する」というプロセスが不可欠だからです。
「自己犠牲」と聞くと大袈裟なように感じるかもしれませんが、要するに、自分自身より他者や全体を優先して考えるという感情調整が出来なければ他者と協調は出来ないという意味です。協調性の高さが、ストレスの許容範囲の広さに繋がるわけです。
例えば、個人主義の徹底した欧米の国の特殊部隊では、協調性を養うために、隊員間のチームワークの必要性が強調され、そのためのカリキュラムが実施されています。
日本人はこの面では優れており、欧米人と比べると、ことさらチームワーク教育をしなくても集団での協調性を発揮できる人が多くいます。災害時に日本人が見せる協調性は、まさに、高度のレジリエンスを日本民族が文化として保持していることを示しているのです。
もっとも最近は、ストレスに向き合えない新人社員が多いと言われます。これは、日本人のレジリエンスが低くなっていることの現れでしょう。
例えば、「この職場は自分に向いていない」等と思い悩む人が典型的ストレス症候群に属します。
職場の環境が良くないと思ったら、自分で環境を変えていく新奇性追求や、環境の悪さも修行の内というような未来志向、あるいは「仕方ないな」というある種の鈍感さや、「まあいいや」と言う楽観性があれば、ストレスを感じない感情のコントロールが出来ます。このような人は、レジリエンスが高いと言えます。
三つ目の要素である「意志」とは、明確な目的意識を持っているということです。自分の生き方に強い意義付けができている人は、レジリエンスがかなり高い人です。
この面に関しては、独自の歴史的思想を確立している欧米人に比べ、伝統文化から切り離された現代の日本人は劣っているといえるでしょう。
例えば、個人主義や自由主義という考えについて、米国人のように神から与えられた使命を全うするというような感覚を持っている日本人は少なく、それを享受するだけで確立された思想や信仰のない中途半端な個人主義や自由主義は、日本人の精神を弱体化させていると考えられます。

レジリエンスを向上させる思考と
レジリエンスを劣化させる思考


レジリエンスを無形の戦力と考える米陸軍特殊部隊では、After Action Review(AAR:行動後の検証)を重要視しています。AARとは一九七〇年代に米陸軍に導入された手法で、ある出来事やプロジェクトから学習すべき教訓を抽出して、他の場面に応用するための方法論です。
自分たちがとった行動を、達成しようとした目的と照らし合わせて客観的に検証し、失敗した理由を評価分析し、そこから教訓を導き出して次の行動に活かすという学習プロセスなのです。
これはまさに失敗を恐れず、次の成功につなげようというポジティブな思考を養成するもので、この思考プロセスを習慣化することで、レジリエンスの向上につなげることが出来るようになるのです。
AARでは、成功経験から正しい教訓を見出すのは難しく、失敗経験を素材にするほうが容易です。なぜなら、成功の原因が失敗の累積である場合も多いわけですし、成功要件の一つが欠落しただけでも失敗に繋がるということを見落としがちだからです。
一つの成功体験を客観的に評価せず、そのままマニュアル化すると、慢性的失敗に落ち込むことがよくあります。
戦前、日本海海戦で勝利した日本海軍が、その成功体験をマニュアル化していることを、米国人記者ヒュー・バイアスは自著「敵国日本」で次のように記述しています。
『日本の軍人は、最初の奇襲に最大の重要性をおく。その計画は緻密を極める。後は真っ向正面から攻めるマニュアル通りの攻撃である。日本人は、計画は上手に作るが臨機応変の才がない。法則に従って行動を規律する癖は根深いものである。計画がはずれると全てがだめになる』。
戦後日本経済の成功マニュアルも同じです。東西冷戦が、米国に依存してもリスクが少ない特殊な戦略環境であったということを認識せず、戦略環境が変わっても、米国依存の成功体験から逃れられない現代日本人の思考の硬直化は、バイアスが記した戦前のそれに匹敵するように思えます。
かつて、日本が日英同盟に基づきドイツに宣戦し派兵している最中の一九一七年三月に、大英帝国会議で配布された「日英関係に関する覚書」には、「日本人は狂信的な愛国心、国家的侵略性、個人的残忍性を有し偽りに満ちており、日本は本質的に侵略的な国家である。(中略)資源の面から考えれば、日本の政治目的は大英帝国の部分的消滅をともなうものであり、日英間に協力すべき共通の目的は存在しない」と記されています。
当時の日本政府は、英国の政治的意図を正しく認識できませんでした。その結果、英国の戦略に上手く利用され日露戦争に踏み切り、戦争経費を英米からの借り入れ資金でなんとか乗り切りました。しかし、その後の金準備や外貨準備の大部分を英国に上手く利用され、国家の資産を上手く活用できないまま経済的に窮地に追い込まれたことが、満州事変そして大東亜戦争を引き起こす原因の一つとなった経緯を、教訓として考えなくてはなりません。
同盟関係とは、政治的利益獲得の契約であって、情緒的友好関係とは無縁のものです。現状の、客観性を欠いた期待感だけの対米依存姿勢は、経済、安保、福祉、文化等あらゆる面で国民のストレスを増強し、問題解決のレジリエンスを低下させているように思われます。その先には、精神衰弱か激情の発露しかなくなるでしょう。

かつての日本の武士たちに見られたレジリエンスの高さに学ぶ

安土桃山時代から江戸時代初期の武将で黒田家や豊臣家に仕えた後藤又兵衛の逸話は、かつての日本人のレジリエンスの高さを物語っています。
豊前国で一揆を起こした城井鎮房との戦いに敗れた黒田如水の息子・長政が、頭を丸めて如水に詫びたのに対し、又兵衛は「戦に勝敗はつきもの。
負け戦の度に髷を落としていたら、生涯、毛が揃うことがない」と言い放ったといいます。
また敗戦の直後に「今こそ攻めるべき」と進言し、「これだけの負けを喫したのに何を申すか」と取り合わぬ長政に対し、「これほどの負け方をしたが故に、敵は今攻められるとは思ってもいないはず」と答え、敗北の直後にも関わらず、そこにチャンスを見出そうとしたのです。
こうした後藤又兵衛の逸話は、失敗を苦にするどころか目的達成の好機として捉える意志力の強さ、つまり、レジリエンスの何たるかを示していると言えます。
更に時代を遡れば、楠木正成公が後醍醐天皇に奏上した「勝つも負けるも合戦の習い、いちいち御気にかけず、正成一人なお生きているとお聞きなされば、天皇の御意志必ず成し遂げられるものと思し召せ」と述べた逸話にも明確に、大楠公のレジリエンスがいかに強く形成されていたかが伺えます。
このような武士たちの生き様には、強い目的意識、楽観性、新奇性追求、感情調整、肯定的な未来志向等現代の日本人が探求すべきレジリエンスの要素がすべて含まれています。では、このような日本の武士たちの精神文化はどのように育まれてきたのでしょうか。
フロイトの精神構造論によれば、強力な自己の目的意識が形成されるためには、「自我」が「理想的な行為をする自己」、すなわち「超自我」と同一化するプロセスが必要だと指摘しています。
そして、自我の「超自我」への同一化の条件として、「厳格な任務への同意」、「任務に基づく行動の結果の容認」そして「群衆との差別化」という三つの要素が必要だと言います。
日本の武士たちの生き方を考察すると、この精神構造論の条件に合致した行動が数多く見られることが分かります。
幕末の江戸城無血開城の陰の立役者だった山岡鉄舟を見てみましょう。時の将軍徳川慶喜が官軍に対して恭順の意を伝えるべく鉄舟に密使を頼んだ際、鉄舟は慶喜の真意を確認するまで任務を引き受けていません。将軍慶喜が涙を流して大政奉還の真意を伝えてはじめて、『鉄太郎の目の黒い内はご心配なさるな』と言い切ってこの困難な任務を引き受けているのです。まさにフロイトの言う「厳格な任務への同意」が出来てはじめて、鉄舟は官軍参謀の西郷隆盛との交渉に向かったのです。
しかも、敵陣に単身乗り込もうとする鉄舟に対し、「どうやって西郷に会いに行くつもりか」と懸念する勝海舟に対し、馬に乗って行くだけ、と述べて正面から堂々と乗り込んでいった鉄舟の境地は、まさに「任務に基づく行動の結果を容認」した楽観的態度といえるでしょう。
たとえ困難な結果が予想されたとしても、自身が信じる任務を遂行しようという精神は、吉田松陰の「かくすれば、かくなるものと知りながら、已むに已まれぬ大和魂」という有名な詠歌にも表れています。
また、西郷隆盛は「人生を全うしようとする者は、大衆がいくら非難しようが正しいと信ずることを変えることはしない。逆に、大衆がいくら褒めても正しくないものは正す。それは、自分が信じる道に確信を持っているからだ。」と述べている通り、当時の武士たちは世間の評価がどのようなものであろうとも、己が信ずる道を信じて進むという武士の誇り(高慢さとは違う群衆との差別化)を持っていたのです。

世界的ストレス社会から脱却しよりよい世界の創造を目指す

日本では古来から、協心努力を徳として重んじてきました。いわゆる「和」の文化です。共生、共助、共栄の「和」こそが、日本社会の価値観の中核として慣習化され文化として定着したのです。
神武天皇が奈良の橿原で大和の都を開くときに国民に呼びかけたのは『八紘を掩ひて宇と為む』(天下を一つの家のような社会に為そう)という詔でした。これが日本の建国理念です。
また、聖徳太子が十七条の憲法に「和をもって貴しとし」と記したのも神武建国理念の継承です。
日本の近代化に際しては、明治天皇が五箇条の御誓文において「万機公論に決すべし」として、専制独断によらず公論による議決を国是としました。
このように、日本の伝統精神の中核は、ずっと変わらず大きく和する「大和心」でした。現代では「おもてなし」や「思いやり」とか「絆」とか言われているものも日本人の大和心です。これこそが、人々の共生、共助、共栄共をめざす日本が世界に誇る生きた伝統文化なのです。
米国の心理学者アブラハム・マズローは、高度に文化が発展し平和で安定している社会では、人々がその社会に貢献したいという要求を持つようになると言っています。帰属する社会が、高い協調性があって、社会の習慣が協力を値打ちのあるものだと見なしていれば、利他精神や社会奉仕は自然と生まれてくるものです。
そして、協調を大事にする帰属社会が危機に直面すれば、「大和心」が猛々しさを備え、自己を犠牲にしても社会を守り抜こうとする「大和魂」になるのです。武士道といわれるものの本性は、この「大和魂」です。
キリスト教徒であった内村鑑三は、米国での体験から米国人の信仰態度に幻滅して帰国し、武士道こそが純粋なる殉教精神であるとして次のように言いました。「日本武士は、その正義と真理のため生命を惜しまざる犠牲の精神に共鳴して神の道に従った。武士道は日本における唯一の道徳・倫理であり、かつ、世界最高の人の道である。武士道がある限り日本は栄え、武士道がなくなるとき日本は滅びる」。 
今や世界全体が、経済の低成長や格差、そして民族の大移動や宗教紛争等、危機的問題に直面し、有効な解決策を見出せずにストレス状態に陥っています。
そんな中で、日本の歴史を紐解けば、世界が範とするようなレジリエンスを示した日本人の姿に触れることが出来ます。
現代のストレス社会において、ただ単にレジリエンスを高めても正しい人間、正しい社会が出来上がるわけではありません。世界的ストレスからの回復の先に、よりよい世界を描くことが重要なのです。
苦境にあっても理想にひた走った武人たちの生き方を通じて、日本人の正しいレジリエンスを学ぶことは、現代だからこそ大きな意義があります。
そして、建国以来の「和」を大事にする伝統的精神文化の再興をはかることで、ストレス社会からの脱却を図ることができるでしょう。
またそれは、権利を主張し競争を原理として格差と不安と対立を産む現代世界を、共生と共助と共栄を目指す新たな世界へと転換させる粘り強い力になるはずです。
posted by RBRA at 17:50| Comment(1) | TrackBack(0) | 幹事 荒谷卓